失われたカルタゴを探しに 1
2007年 09月 10日
チュニスには、世界的に重要な遺跡があります。
それが「カルタゴ」の遺跡。
といっても、悲しいことに「遺跡」と言うには、寂しいほど残っているものは少ないのですが。
それでも、2800年以上前この地にフェニキア人によって造られ、抜きん出た航海技術で地中海にて名をはした一大帝国。
アルファベットを含む現代の多くの文字体系の母体となった、フェニキア文字。
ラテン文字もキリル文字も、ギリシャ文字も、アラビア文字も、これが基だそうな。
フェニキア人が護符や魔よけとしていた、ガラス細工の祖、トンボ玉の祖「人頭玉」。
カルタゴの陶器。形が可愛いな~。
これは、カルタゴで使われていた哺乳瓶だって(笑)
当時海上貿易や農業を中心に栄えたカルタゴと、イタリア半島を統一して、いざ地中海へ乗り出さんと目論むローマとの間に始まった、第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争。
そして最後はローマにはめられた形で始まる第三次ポエニ戦争でカルタゴは三年間の篭城戦の後、陥落しちゃうわけです。
ローマは、カルタゴを恐れ、徹底的な消滅を願ったらしく。
カルタゴ市街に攻め入り8日間の市街戦の後、ビュルサの丘の斜面にあった市街は火に包まれ、17日間燃え続けたとのこと。
その焼け野原を、さらに、わずかに残った建物はすべて残らずぶち壊され。
カルタゴ市民、生き残り5万人は全員奴隷に。
その上で、永遠に誰も住めないようにと、ローマ軍はカルタゴの大地に塩をまいたとか。
あのローマが、そこまでするってことは、よほど怖かったんでしょうね。
そこまでされるカルタゴって、どんな国だったんでしょうね。
これが、そのビュルサの丘。
2146年前のカルタゴ滅亡の地です。
その100年後、ローマ帝国によってカルタゴ再建が行われ、すべてをローマ色に塗り替えられていて、ビュルサの丘は、ローマの柱、ローマ時代のものがごろごろ。
もうカルタゴ時代のものは見ることは出来ないのかなと思いました。
が。
この、ビュルサの丘の模型を見るとわかるのですが。
やたらと柱もでかくて、壁も分厚いローマ時代の建物をどんどん掘っていくと、当時、2146年前にぶち壊されて、ならされて、地中に葬り去られたカルタゴの街跡がっ。
ローマの街の造りと、明らかに方角の違う、小造りな数階建て住居。
ちなみに日本は縄文時代、おサルに毛の生えた生活してたのよね~(苦笑)
これが、カルタゴの街かぁぁ。
もうないと思われていた街を、こんな風に歩けるなんてすごいやっ。
この時代すでに地下水路が整備されてたんですかぁ。すごいっ。
カルタゴと言うと、モザイクなのだそうです。
ローマのモザイク技術は、カルタゴから受け継いだとのこと。
まだ、モザイクで装飾された床がちゃんと残ってるぅ!って嬉しくなりました(涙)
カルタゴの街の上に建てたローマの街から出てきた、モザイク。
まぁね、カルタゴと100年の違いはあるんですが、ローマはやっぱりすごい…(感心)
親二人がキャーキャー熱中してるうちに、くうま君が消えちゃってました。
「おおおーい、くぅーまぁぁぁ!!」
と。
こんな所で、一人黙々と何かしているではないの。
ほりほりほりほり……。
「これは、カルタゴでぇ、ハンニバル(ポエニ戦争時代、カルタゴの伝説の将軍)が食べて捨てたカタツムリの殻っ!!」
おおおおっ、くうちゃん、すごい発見だよっ。
これは博物館に飾られてもいい発見だぁっ。とパパに煽てられて、くうま君大得意~(笑)
(実際、カルタゴ層から出てきた、カルタゴ時代のカタツムリです~)
おまけ。
ビュルサの丘にいた子猫。
ハ、ハスミン(二年前の船旅中、港で消えてしまった我が家の飼い猫 涙)に似てるぅぅ。
よほど連れて帰ろうかと思いましたが、ホテル滞在でどうやって猫拾って帰れるのか考えると、難しすぎて、諦めました。ああ、しま猫が飼いたい(涙)
あ、カルタゴ探しはまだ続くのです。
それが「カルタゴ」の遺跡。
といっても、悲しいことに「遺跡」と言うには、寂しいほど残っているものは少ないのですが。
それでも、2800年以上前この地にフェニキア人によって造られ、抜きん出た航海技術で地中海にて名をはした一大帝国。
ラテン文字もキリル文字も、ギリシャ文字も、アラビア文字も、これが基だそうな。
当時海上貿易や農業を中心に栄えたカルタゴと、イタリア半島を統一して、いざ地中海へ乗り出さんと目論むローマとの間に始まった、第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争。
そして最後はローマにはめられた形で始まる第三次ポエニ戦争でカルタゴは三年間の篭城戦の後、陥落しちゃうわけです。
ローマは、カルタゴを恐れ、徹底的な消滅を願ったらしく。
カルタゴ市街に攻め入り8日間の市街戦の後、ビュルサの丘の斜面にあった市街は火に包まれ、17日間燃え続けたとのこと。
その焼け野原を、さらに、わずかに残った建物はすべて残らずぶち壊され。
カルタゴ市民、生き残り5万人は全員奴隷に。
その上で、永遠に誰も住めないようにと、ローマ軍はカルタゴの大地に塩をまいたとか。
あのローマが、そこまでするってことは、よほど怖かったんでしょうね。
そこまでされるカルタゴって、どんな国だったんでしょうね。
2146年前のカルタゴ滅亡の地です。
その100年後、ローマ帝国によってカルタゴ再建が行われ、すべてをローマ色に塗り替えられていて、ビュルサの丘は、ローマの柱、ローマ時代のものがごろごろ。
もうカルタゴ時代のものは見ることは出来ないのかなと思いました。
この、ビュルサの丘の模型を見るとわかるのですが。
やたらと柱もでかくて、壁も分厚いローマ時代の建物をどんどん掘っていくと、当時、2146年前にぶち壊されて、ならされて、地中に葬り去られたカルタゴの街跡がっ。
ローマの街の造りと、明らかに方角の違う、小造りな数階建て住居。
ちなみに日本は縄文時代、おサルに毛の生えた生活してたのよね~(苦笑)
もうないと思われていた街を、こんな風に歩けるなんてすごいやっ。
ローマのモザイク技術は、カルタゴから受け継いだとのこと。
まだ、モザイクで装飾された床がちゃんと残ってるぅ!って嬉しくなりました(涙)
親二人がキャーキャー熱中してるうちに、くうま君が消えちゃってました。
「おおおーい、くぅーまぁぁぁ!!」
と。
こんな所で、一人黙々と何かしているではないの。
おおおおっ、くうちゃん、すごい発見だよっ。
これは博物館に飾られてもいい発見だぁっ。とパパに煽てられて、くうま君大得意~(笑)
(実際、カルタゴ層から出てきた、カルタゴ時代のカタツムリです~)
おまけ。
ハ、ハスミン(二年前の船旅中、港で消えてしまった我が家の飼い猫 涙)に似てるぅぅ。
よほど連れて帰ろうかと思いましたが、ホテル滞在でどうやって猫拾って帰れるのか考えると、難しすぎて、諦めました。ああ、しま猫が飼いたい(涙)
あ、カルタゴ探しはまだ続くのです。
by tabikuma
| 2007-09-10 07:56
| 07年船旅(Italia,Tunes)